5月連休は夫婦で春の信州・里山を歩く
07年5月 横浜・渡部
上田市の里山・塩田平の風景
里山・塩田平
彩りの菜の花畑◆3日・晴れ。関越の激しい渋滞で長野道に抜けられず、当初の「高山村を歩く」計画を断念。一旦、新潟に入り、そこか飯山の菜の花畑ら北信に。正午過ぎ、関越道塩沢石打ICから十二峠をこえて津南町・越後田沢。千曲川沿いの芽吹きの里山の春をみながら、JR飯山線と並走する国道117号線をひた走り、飯山までドライブ。途中、栄村の道の駅で「おやき」を食べながら休憩。地酒も買い込み、飯山のいちめんに広がった菜の花畑と里山を散策。日がおちはじめ、一路、松の実さんへ。
写真(飯山市・菜の花公園)
国宝・薬師堂◆4日・晴れ。上田駅から別所線に乗って春の塩田平へ。「信州の鎌倉」といわれる史跡・寺社めぐりしながら里山散策。何度か足を運んだ前山寺の重要文化財・未完の三重塔、龍光寺、中禅寺の国宝・薬師堂を拝観。一時廃館≠フニュースも流れ心配された信濃デッサン館で「夭折の画家」と呼ばれる薄命の画家・村山槐多、関根正二などのデッサン楽しみました。別所温泉の重要文化財・石造多宝塔のある常楽寺、安楽寺の国宝・八角三重塔も訪ねました。
 安楽寺にむかう途中に立つ、戦前の労農党代議士で、右翼の凶刃に倒れた山本宣治を讃える記念碑前で妻と記念写真。
 京都生まれで、侵略戦争に反対し平和と民主主義を守るためにたたかった代議士。昭和三年、総選挙に労農党から立候補して当選、天皇制と戦争に反対する人々を弾圧・迫害し暗黒政治をつくりあげた治安維持法にただ一人反対し、「山宣ひとり孤塁を守る」と奮闘。翌年、上田に来て、上小農民組合主催の講演会で千人を前に大演説、聴衆を沸かせたといわれています。山宣の記念碑の前で
 「山宣」は、治安維持法改正令(勅令)反対のための発言原稿を準備して国会に臨んだが、妨害にあって発言できずに、その夜、東京・神田の宿舎で右翼に暗殺されました。39歳でした。
 「山宣」は別所の人たちのみならず、長野県人にはこよなく敬慕されています。
 妻と「山宣」を偲びながら考えたこと。憲法9条をかえ、アメリカと肩を並べて日本が海外で戦争する国づくりをねらう安倍内閣の右傾化の動き、暴力団による長崎市長銃殺事件など。「平和と民主主義をこわす動きは許さない」の思いを新たにしました。
 ここまできて温泉につからないのは失礼…。そこで、戦国時代、真田一族が英気を養い、傷をいやしたことで知られている天然の岩間をそのまま浴槽にした石湯で汗を流す。
写真(上田市・別所)
上田市武石村余里の花桃
ハナモモの余里の集落◆5日・晴れ。ハナモモが咲く里山、上田市武石村余里へ。この日の朝、オーナーの紹介で急きょ決めたもの。宿から車で約45分。集落の入口に車を置き、ハナモモや周辺の新緑を楽しみながら、山間の集落をぶらぶらと歩く。往復1万歩。妻は絵筆をとりスケッチ、私は写真…。その足で、東御市の芸術村・梅野記念絵画館へ。鉛筆による細密表現の木下晋展、画業75年究極の自選展小林邦二を鑑賞。3日間とも好天に恵まれ、さわやかだった春の信州を後にしました。
余里のハナモモ 鮮やかなハナモモ
余里のハナモモ 鮮やかなハナモモ